2006年5月21日総会にて(大和市保健福祉センター)

大和成和病院心臓病センター長  南淵明宏

私が患者の気持ちに近づいたとき

 皆さん、こんにちは。きょうは天気が良過ぎて暑過ぎて、かえって脱水のほうが心配になったりするわけです。水分を十分取っていただきたいと思います。
 私はきのうの夕方は京都におりました。きょうの朝6時の新幹線で東京に来まして、午前中は都内で講演のような医者の集まりがありました。それが終わってここに来させていただいて、非常に充実した時間を過ごさせていただいておるわけです。きのうはちょうど京都で久しぶりというわけではなくしょっちゅう行って、実は来週も行くんです。京都はさすがにうらやましいなと思います。文化の息吹、あるいは礎が深いというか、そういうものを感じます。

 ちょうど私が講演をやる会場のすぐ前、京都駅前で高石ともやさんが無料の演奏会をやっていました。2時から6時まで4時間ずっとやるという感じです。あの人はマラソンも走る人です。「自分を褒めてやりたい」ということをあるマラソンランナーが言いました。あれは高石ともやさんの曲から取ったということで有名になりましたが、非常に長くフォークソングを歌っている方です。
 その方がいわゆる普通の広場でコンサートをやっていました。それに思わず立ち止まって聞き入ってしまったわけです。そういった意味では京都というのはこういう感じで、文化人や芸術家がそこら辺の道端に落っこちているみたいな感じでいらっしゃるんだなと思いました。
 その中で非常に身につまされるというか、あるいはある種、感動してしまう話が一つありました。高石ともやさんは、なぜかそう言われてみればそうだなと。彼は四角いカニみたいな顔をして、ちょっとおでこの広い人です。なぜか黒いベスト、あるいは黒いズボンをいつも着ていらっしゃるのが目に焼きついています。その理由をおっしゃったんです。それは彼がミュージシャンとして若いころアメリカに行ってカントリーミュージックをいろいろ教えてもらう、あるいは一緒に入って自分の歌も演奏する。
 そのときにこういったカントリーミュージックというのは、すでに死んじゃった土の中にいる人たちの残したものを、自分たちが今やらせていただいているんだと。芸術に限らず、何でもそうだと思うんです。そういった意味で先人の残したものによっかかって自分たちは飯を食わしてもらってる。先人に敬意を払う意味で必ず体の一部に黒いものを身につける習慣というものが自分を結局ビッ グにするぞという助言を受けたそうなんです。高石ともやさんはそれをずっと肝に銘じて実践されているということで、彼のステージ衣装は必ず、大体、白黒であったりするんだとおっしゃっていました。
 私自身もそれを聞いて非常に感激しました。すこし殺伐とした話になるかもしれませんけれども、私自身も命を預かるという仕事です。そんなことを言うと当たり前のことであるわけですけれども、きょうここに来られている方々は本当に皆さん笑顔で、年々若くなっていくんじゃないかなという方も……。これはお世辞ですよ。(笑)本当に1人ぐらいいらっしゃいますけれども……。(笑)
 そういう形で非常に元気になられた。本当にうれしい、心臓外科のまさにその結果を世間に知らしめる、あるいは具現化するというか、そういうものをこの場で見る気が致します。そういった意味ではものすごく力づけられるわけです。ここ13〜14年、こういった形でお話しさせていただくときに本当にいつもそう思うんです。皆さんの元気な顔ということで自分自身が本当に勇気づけられるんです。同時にここの場に来られなかった方も、決してたくさんではないんですけれどもいらっしゃる。そういった人にも同時に思いをはせる自分があります。
 こういった考えというのは、年々、実は強くなっております。禅問答のような言い方ですけれども、患者さんの近くに医者は居るわけです。ある種、手術をする側、される側という点から考えてみますと、全く逆の相対する立場ということは、物理的には患者さんのそばに居る医者、看護師さんもそうかもしれません。でも現実には一番遠いところに居るんじゃないかなと思ってしまいます。患者さんの気持ちというのは本当に自分たちは分かるんだろうか、分からないという大前提でいつも医療にかからないといけないのではないか。
 分からないから、分かろうとすることが大事と言いたいわけです。分からないんだったら分かる必要はないという意味では決してないのです。その点、誤解ないようにご理解をいただきたいのです。しかし、とにかく患者さんが命をかけて受ける手術も、こちらも心臓外科医として命をかけるんだと、言うは簡単です。しかし本当に自分の命を考えているのだろうか。かけているんだろうかといったことを年々、深く思います。
 私も48歳。皆さんの心臓手術をやらせていただいたときが実は34歳です。14年たっています。でも14年というのは私自身は、身長はずっとこのまま高いですけれども、自分自身も非常に成長してきました。以前はそうではなくて、「人の命」というものを言葉で言われても、その重みは自分ではなかなか実感することがなかったわけです。
 周辺の方々、あるいは自分の身に降りかかることをいろいろ経験するうちに、自分自身も本当に自分にとっての命というのは何だろうなと年々、考えるようになりました。ようやく本当に皆さんが手術を受けたときの気持ちに近づきつつあるのかなと思ったりしております。
 病院の宣伝で恐縮ですが、最近はマルチスライスCT64列という最新型の東芝の機械がクリニックに導入されました。まだ2週間ほどしかたってなくて、患者さんに対してずっと日常的に稼動している段階ではないのですが、近日中にそのような状況になると思います。クリニックにはクリニック専門の循環器の先生がお見えいただいて、そういった患者さんの内科的な治療というよりも診断を中心に、この4月からやっていただくようになりました。
 今、申しました機械のマルチスライスCTが2週間前、連休明けに導入されたわけです。CTは造影剤を入れるのですが、このマルチスライスCTというのはカテーテル検査なしで冠動脈の造影ができてしまうという機械です。今は64という数字になって数が増えているから進んでいるんだなとお分かりだと思うのですが、16列のときから冠動脈が見えることが分かっていたのですけれども、なかなかもわっとしていて使いものになるのかなと……。
 ところが年々、32、64と倍倍で増えてきて、今入りました機械ですと本当によく見えるのです。皆さんに先がけて、僕自身がその検査を受けた次第です。ここでさっきの話につながるわけです。冠動脈の壁にうっすらと動脈硬化の芽みたいなものがあるんです。やっぱりかということで……。(笑)
 皆さん、ここで「ざまあみろ」と思っていただいていると思います。「あいつも同じ目に遭うんだよ」という感じで、皆さんの期待にこたえる日も近いんじゃないかと思って……。笑い事ではないですけれども、本当に……病院まで来れなくなってしまうわけです。そのようなときにもふと考えました。自分が冠動脈の検査を受けてその結果がどうであるか知るまでというのは、ある種、患者さんの気持ちに近づいた瞬間でもあるのかなと思います。僕自身も少しはそういった意味では医者として成長しているのかなと思った次第です。
 つまり病人の気持ちというのは本当に病気にならないと分からなかったりして。それが医者であったとしても、反対に病人ではない立場でずっと病人を診ることに慣れてしまっている自分があるということは、それだけ患者さんの気持ちからはどんどん離れていってしまうという気がします。そういったことが本当にないようにとは思うのです。しかしながら時間というものが非常に自分に助けをくれたという気もします。いろんな経験をするわけですけれども、そういった自分も冠動脈を自分で調べてみるということで、皆さんの心境に1万分の1ぐらいは近づいたのかなと思いました。
 きょうもそこに私が立っておりますと、でかいから目立つんです。すぐ見つかっちゃう。皆さんから声をかけていただくわけです。「最近ちょっと心配です」ということで、何人かの方に今の「マルチスライスCTを受けてみたらどうですか」と話しました。別にこれは病院がすごい借金をして返さなきゃいけないと、そういうわけじゃないんですよ。(笑)本当にいいと思っているから言っているわけです。そういった形でやっぱり不安をお持ちの方というのは一つの解決法ではあるのです。
 しかしそういった検査の結果が仮に問題なくても、あるいは「手術は全く問題ない」と言われても、やはり一番大事なのは自分の心の持ちようだと思うのです。毎日、とにかく今生きている瞬間に感謝できることが、まさに健康ということだと思います。体に若干の問題があろうと、気持ちで生きている今の瞬間を思い切りありがたがる気持ちになれたら……。なかなかそうはなれないこともあるかもしれませんけれども、それすなわち、健康ではないかなと思うわけです。

主治医が見つかる診療所」とは?

 こんな偉そうなことを言いますのも、私はいろいろテレビにも出させていただいて、テレビ東京12チャンネルの「主治医が見つかる診療所」です。ほとんど僕は文鎮のように黙って座っているだけです。(笑)その横にいらっしゃる先生方がいろいろ議論したり、けんかしたりするようなところ。あれはいわゆる「行列のできる法律相談所」に似せる形で、専門家でもああやって机を並べればみんな十人十色、意見が違うんだぞと。しかも専門家というのは、専門家であるがゆえに自分の譲れないところがあって、「たばこを吸っていい」とか、「駄目だけど自分は吸っている」とか、そんなことで議論になったりします。
 あるいはちょうど来週の月曜日は、例えば腸の洗浄です。それに意味があるのか、ないのか。必ずイエス、ノーで意見が分かれて、そこで意見が戦わされるという、ある種、仕組みと言ってはいけないですが、そのような番組の流れではあるのです。何が言いたいかといいますと、ああいう番組に出ていますと、出た我々医者自身も非常に勉強になるのです。
 ああいうスタジオですから本当にしゃべります。お医者さんはみんな僕よりも上手なんです。ああ言えばこう言うで、どんどん説明が出てきます。秋津先生が二つ上にいらっしゃいます。元女子高の先生で、その後に医者になったということです。なかなか本当に口が回るという方です。でもあんなに何から何まで全部説明されると、ちょっと患者さんのほうも言いくるめられている印象があるんじゃないかなと思うぐらいです。別に批判するわけではないのですが、本当にいろんなお医者さんのいろんな説明の仕方、立場があります。
 私自身が心臓外科の専門家、超エキスパートみたいな感じではあるのですが、ほかの先生方もある種、そういうところもあるのです。やはり患者さんのいろんな日ごろの悩みの相談を打ち明けられているということです。私自身が、ある種「私は手術しかできまへん、手術しかやりまへん」てなもので、患者さんの例えば「足の傷が痛い」とか、「そんなもの死にはしませんよ」というもので、ちょっと自分も反省しております。(笑)ほんとにもっとみんな親身に聞いてあげて、どうせごまかすなら、もっとうまくごまかすとか、そういう方法も会得しなければいけないなと思うぐらい、本当に勉強になります。
 レギュラーで出ている先生以外に、例えば目がぴくぴくの、それ専門の外来とか。「そんな先生がいるんだな」てなもんです。(笑)またスリープクリニックとか、睡眠外来とか、すごい話です。睡眠障害だけで外来をやっていらっしゃるということで、まさに本当に一芸に秀でたという感じです。ある種、前から見てると世間から見てもわかりやすいですね。あまり放送されていませんけど、そういうお医者さんが来ると、医者のほうからも「これはどうなんですか」と、どんどん質問がいくのです。
 例えば徹夜すると次の日の昼間は眠いですね。そのときは午前中に寝ないと駄目。もし午前中の昼までに寝れず、昼から寝ちゃうと、その日の睡眠を食ってしまいます。徹夜して次の日の午前中のお昼の時間まで起きてしまった。その後、2時、3時から5時ぐらいまで寝たとします。そうしたら3時間、昼間に寝ているんですけど、その3時間はその夜の睡眠を障害して、その夜に寝られなくなるということです。だから2時、3時まで起きていたら、そのままずっと起きていなさいと。でないと夜中に眠れなくなってガタガタになりますよというものです。そんな話を聞いて、スタジオの医者は「なるほど」と。(笑)
 だから一芸に秀でるというか、一つのものを長年にわたって考える、あるいは事例としてたくさん患者さんを診ていらっしゃるということで、本当に自分なりの、もちろん確信ということもあるでしょうし、説得力があるというか、そういったものが出てくるのだなと。ほかにもそういった形の特殊な特化した外来の先生がたくさんいらっしゃいます。番組を見ている人はどれぐらい勉強になっているか全然知りませんが、少なくともスタジオに呼ばれている私たちとしては、「きょうも勉強になりましたね」とみんなでお話しして収録が終わっているのです。(笑)大概、あれは土曜日の夜にやっております。2回分を1回で撮りますから、そんなに拘束されている時間は思ったほどなかったりするのです。
 ほかにも私は『週刊現代』にちょっと嫌みに書きました。病気のことでいろいろ教えてほしいという、いろんなテレビ局からの相談を受けたりするんです。とにかく番組的な作りで、病気になる、例えば心筋梗塞にしてもそうです。「心筋梗塞は怖いんですよ」「じゃあ、先生、心筋梗塞にならないようなワンポイントアドバイスはないですか」ということになるわけです。そうじゃないとテレビはできませんというようなものです。でもワンポイントアドバイスなんかあったらノーベル賞なんですけれどね。(笑)
 そんな病気にならないことができますか。医者だって心筋梗塞になるし、そういう人はいっぱいいるわけです。しかし作り手というのは案外そういうふうに思ったりします。大分変わってきているわけです。テレビをそのまま批判するつもりはありません。やっぱりテレビはテレビでいろいろと、とにかく分かりやすいものを作ろうと一生懸命に考えているのです。しかし、こと医療になると、「テレビの人が考えているより、番組を見ている患者さんのほうがもっと医療に関して、あるいは体とか、あるいは人体の生理学に詳しいんじゃないですか」といつも言ったりします。
 例えば先々週の火曜日の急性大動脈解離を、テレビの「たけしの本当は怖い家庭の医学」で紹介させていただきました。これも突如起こる病気で、ほとんど前兆はないといわれているわけです。唯一、血圧の上と下の収縮期と拡張期の幅が狭くなるということが一つの原因ではないかと僕は思います。じゃあ、それをやりましょうと。ところが上と下、収縮期と拡張期を二つ、数字としてタレントさん、みんなを測って並べたら、「見ている人は分かりません。一つにしてください」と。上と下かどちらかというので、結局、下の血圧だけを安静時と、スタジオの緊張している状況で測って比べるということで、非常に中途半端なスタジオの展開になったりするわけです。
 しかしそのときに盛んに言ったのです。私が心臓の手術をやっている患者さんは特殊な患者さんといえるのかもしれませんけれども、そうでない患者さんでも、家で血圧を1日に3回、4回測って、「こうでした」「ああでした」という人も結構ざらにいらっしゃるわけです。それを記録して脈拍も書いてあるものを外来に持ってくる患者さんは普通にいらっしゃいますよと。そんな血圧の上と下の区別も分からない人が今どきいるのでしょうか。あるいはそういう上と下の血圧の区別がつかないような人が、あえてそういう番組を見るでしょうかと。
 やっぱり番組を見る人というのは、圧倒的に医療に興味があるわけです。医療の体験をいくばくかされている。ご家族が病気であったり、あるいは手術を受けた、あるいは本人も血圧が高いといわれた人ばかりじゃないかなと思うのです。その辺がまだ、なかなかテレビのほうには浸透していかない歯がゆさも、若干あったりはするのです。
 きょう、こういったところで「テレビに出てますね」とか、いろいろとあまりうれしくないのです。「テレビによく出てますね」と、その裏には「ちゃんと仕事をしてるんですか」という言葉が見え隠れしております。(笑)ある種、僕のいいところかも分からないのですけれど、そういった嫌みを言われるだろうな、嫌だなという場面でも、そういったところにあえて必ず出て行くということで、ご批判をいただくことを良しと自分で勝手に思っているところが自分の利点かなと思ってはいるのです。
 いろいろとテレビで「ああだ、こうだ」と皆さんからご批判を受けて、本当に痛いところを突かれたりするわけです。そういった意味でもテレビで自分が露出して、それを皆さんが見る。いろいろそこで感じてどしどし言っていただく、グサグサ突き刺さるといったことが、また自分自身を律するというか。あるいはテレビに出なければいいのかもしれませんけれども、私自身「ここまで来たら」と言うと変ですけれども、自分なりの、ある種の独自のキャラクターというのでしょうか。ただ、テレビ受けがいいとか、テレビへ出て気の利いたことをしゃべるだけじゃなくて、自分自身として実際の手術をやっているというホームグラウンドがあるわけです。
 そのホームグラウンドがありながらテレビでちょこちょこしゃべるということで、ホームグラウンドに影響ない状況であれば、ホームグラウンドの手術をある種、広く理解してもらうために、特に病気を理解してもらうために発言しなければいけないんじゃないかなと自分では思っています。ある種、変な使命感です。
 きのうの夜も、きょうもそうです。講演が終わるとお医者さんといろいろ話したりします。よくある医療ミス。ご存じかもわかりません。最近では福島県立大野病院で産婦人科の先生が逮捕されるという事件がありました。これは何でもない状況で医療ミスというよりも、もともと重病な方に手術をやらざるを得ない緊急手術で、結果的には亡くなるということです。そういったものがどうなんだということで、けんけんがくがく、医者のほうはいろいろ「逮捕なんかひどいんじゃないか」という話をしたりしているわけです。必ずそういう話題になるわけです。
 そういったときに、いつも私が言っております。「原因も分からない、いつなるか分からない、防ぎようがない。それに対しての医療行為も何一つ確実なものはない。薬を飲むのだってアレルギーでぶっ倒れちゃうかもしれない。そういう危険を持って、医者も危ない橋を渡って医療をやっているんだということを一般の人たち、患者さんに理解してほしいですね」というところに、とどのつまりが落ち着いてしまうわけです。必ずそういう状況で、「どうしたらいいんでしょうかね」というところで終わってしまうのです。
 つまりお医者さん自身はそういうふうに思っているわけですけれども、言おうとしないわけです。私から見たらやっぱりそういうお医者さんが、高石ともやさんが京都の駅前でコンサートをやっていたような感じで、いろいろな方法で世の中に伝えていかないと、やっぱり世の中は動かないと思います。また世の中に伝えれば、世の中は必ず動くと思います。世の中は決して捨てたものではないと思います。

13年間同じことを言えば世の中は動く

 私自身、この大和成和病院やその前の病院も含めた、この13年間、僕の周辺や、あるいは自分勝手な安息かも分かりませんけれども、世の中全体が変わり出したということを考えてみますと、そういった自分なり1人の人間であったとしても、心から出ている一つのメッセージの「病気というのは怖いですよ。それを行う側、手術を執刀する側もすごく怖いんですよ。本当に怖い」とそれだけでもどんどん浸透して世の中というのは耳を傾けてくれるわけです。一生懸命に本当のことを話せば、必ず世の中は聞いてくれると思います。
 ですから私自身、もちろん医者の社会にいますのでお医者さんと会います。お医者さんのほうがいろいろ私に「南淵先生、テレビで言ってよ」と。例えばよくこういうこともあります。「医者と看護師さん、あるいは検査技師さんを「コー・メディカル(co-medical)」といいます。そういったお医者さんを助ける立場の仕事の方の人数が、日本とアメリカだったら4倍違う。日本は4分1しかいない。お金がないから、予算がないからと言ってくださいよ」といつも言う人がいるのです。
 あるいは学会に出ても、そういう議論に今どきはなったりします。でも学会の中で言っているだけじゃ、全然意味がないですね。先日も学会で、毎日新聞の幹部の方が来て医者に対して講演しました。医療報道はどういう状況にあるかという話です。そうなりますと、会場からいろいろそういった声が聞かれるわけです。手を挙げて例えば「日本の医療は情報開示が遅れている」ということになるわけです。「新聞記者が勝手に医者を調べて、いろいろ報道しなきゃいけないのかよ」というものです。「自分のことだったら自分でやれよ」とみんなは思うし、私自身も全くそう思います。医療に何らかの問題があって、あるいはそれに対して「こうやればいいんじゃないか」という提言があるのだったら、医者自身が発信すべきだと思うのですけれども、まだまだそういった時代にはないのです。
 さっきの話に戻ります。「主治医が見つかる診療所」、あるいはテレビ朝日の「先生教えて」という番組で、常連で出てくる非常に気の利いたしゃべりのできる先生方が、結構増えてきているんじゃないかと思います。彼らがどんどん世の中を動かそうという使命感で発言していけば、またさらに加速度がついて医療も変わっていくんじゃないかなと思います。
 しかし手前みそですが、毎年ここ数年は私がこういったところでお話しさせていただく状況はずっと右肩上がりに、私自身の周辺で私自身の声がいろんな形で取り上げられています。私の声が世間に大きく広がりつつあるという、ある意味では「こんなことでいいのかな」と思うぐらい、逆に責任感も感じてしまう状況でもあるのです。私だけの周辺で起こっているのかは分かりません。自分自身の姿というのは自分では見えません。
 しかし、大体の世の中の流れとか、非常にひいき目なんですが、手術のビデオを渡す病院が増えているとか、あるいはカルテをすぐに見れるようにする病院が増えているとか、ほかにもいろいろありますけれども、そういったところを見ていると、ある種、一つの流れを作ったということで皆さんに認識していただいているのかなと前から思っています。1人の人間であったとしても、それが理にかなっていれば、だんだん世の中は動いてきてくれているのかなと思います。
 その流れ、その動きというものが具体的なものとしてどういった形で表れるのかということも、また一つ、僕の目から見て「どうなるんだろうな」と非常に楽しみに毎年見ているわけです。そういった観点からいうと、今年の2月、3月ぐらいから僕自身に「テレビに出てください」とかいろいろありました。それは去年の秋から『週刊現代』の連載を始めさせていただいたこともあるのかもわかりません。いろんな形で声を取り上げていただけるようになってきています。
 しかし、良く言えば「13年間、同じことを言えば世の中は動く」ということですが、悪く言えば「南淵先生は13年間ずっと同じネタじゃないか」ということです。しまいには飽きられるんじゃないかと、別に恐怖感でもないですけれどね。本職は手術ですからテレビに出る必要もないのですが、いつも言っているように出演料は大したものじゃないですから、そういった意味でどうでもいいんですけれども……。
 あるいは「先生、テレビで見ました」と、コンビニでアイスクリームの1本、まけてもらうわけでもないですから。それだったらテレビに出ても良かったと思いますけど。(笑)逆に全然悪いことはできないなと。この間も銀行へ行ってお金を下ろそうとしたときに、免許証を見せ「本人確認、いいんですか」と言ったら、受付の女の人に「あなたはテレビによく出ているお医者さんですよね」と、顔で本人確認されてしまうということで、ほんとに何もできないなと思ったりしております。
 最後にお話しさせていただきたいのは自分を見る鏡です。きょう来ていただいている200人以上の皆さんは、ほんとに私自身の鏡だと思います。たまには、あるいはいつも自分の顔を見て、「鼻も低いし嫌だな」とか、なかなか鏡というのは見て必ずしも楽しいものではないわけです。そういう鏡をのぞくことは本当に大事です。鏡をのぞくという行為で得られるもの、あるいは自分が踏み誤らないという行為は非常に簡単な方法ではないかなと自分では思っております。こうした形で私の鏡ということで、皆さんも私自身に、次回も「南淵先生を見たら言ってやろう」という、ちくりという一言をぜひ準備していただいて、声をかけていただければと思ったりしております。
 きょうの朝の医者の会合では、実は「チャレンジャーズ・ライブ」という名前がついています。日本中の33歳以下の心臓外科の先生を公募して、動物の取り出した心臓の血管を縫います。これは人間の心臓の手術とそっくりですが、動いているわけではなくて止まっている状況です。しかしちゃんと丁寧にやらないときれいに縫えないし、乱暴にやると破れてしまいます。しかもそれを審査するコンテストみたいなもので、今年で4回目です。新聞やテレビでも少し紹介され、きょうもNHKとテレビ朝日が来ていました。テレビ朝日は数日後に放送があるみたいです。
 とにかく33歳までの若い医者が集まってきて、ほんとに真剣に、午前中は練習で午後からコンテストがあるわけです。私は考心会があるので抜けてきたのですが、私と同じ世代のお医者さんも8人集まって審査します。若いお医者さんは関西と関東で30人ずつ、全国で60人も集まったのです。1年目、2年目、3年目と、毎年どんどん増えていってます。とにかく心臓外科は技術だなということが、少なくとも心臓外科の中では全く浸透してしまいました。
 手術がしっかりできなければいけない。そうでないと大変な目に遭う。メディアにつるし上げられることもあるでしょう。あるいはそれができることによってそれなりの社会に認めてもらうところがあります。要するに肩書きとか、どこの病院にいたとかいうものでは決してないんだという、いい意味の価値観が少なくとも若いお医者さんの中では、心臓外科の中では完全に定着してしまったと思います。
 今年で4年目ですが、最初のころは京都大学、あるいは京都府立医科大学、神戸大学、名古屋大学とか、私に近しい大学というか勢力の、若い先生方の応募が多かったのです。ところが、きょうは皆さん、私から非常に遠ざかっている勢力の若い先生がどんどん来ています。そういったあつれきもなくなったな、そういうあつれきどころじゃないなということで、今年は特にうれしかったのです。
 きょうはカメラも入っていたせいもあって、若い先生30人全員に自己紹介してもらったのです。テレビ朝日がカメラを持って回るのですが、その前でみんな堂々としゃべるわけです。すごく自分を客観的に見ようとするわけです。「自分は卒業6年目です。最初の3年間は一般外科。心臓外科をやりだして3年目でほとんど経験がありません」とか、極めて客観的な、あるいは率直で謙虚な自分を評価します。その瞬間、そういった経験が彼らに与えられただけでも、私自身、きょう、そういったコンテストを開いたかいがあったと思うのです。
 何が言いたいかというと、我々専門家というのは、例えば経験数が少なくても大げさに言ってしまいます。本当は10例ぐらいしか手術してなくても、「100例……ぐらいかな」という感じで、大げさに水増しして言う傾向があったりするわけです。ところが本当に自分自身の裸の状況を見せてぶつかってくるという真摯な態度がみんなに見られました。そういった意味でも、医者の中で虚飾というか、学会に出て「うちはこんなです」「うちはこうです」とみんなで自慢し合うというのがいかにばかばかしいかということが全部に浸透してしまったなと思います。自分の力ではなくて世の中の流れなのだと思うのですが、本当にしてやったりという状況でした。
 そういった意味でさっきの鏡の話です。きょうは全国から、北海道からも参加されています。そういう先生方はわざわざ北海道から飛行機で来られても、そこで自分の鏡はあまりよく映らないかもしれないと初めから分かっていても、そういう鏡をあえてのぞきに来て自分の生き写しの姿を見てそれで頑張ろうという、本当に勇気のある真摯な態度です。それは今までお医者さんが、医者というライセンスがあってのうのうとやっていけたぬるま湯を自ら否定するという、本当に力強い流れを自分でも作る助けができたんじゃないかなと、自画自賛ですけれど思ったりしております。
 そういった意味で、テレビ東京だけではなくて、ほかのところでも少しは世の中の役に立つべきかなということを自分自身もなぜそう思うか。これだけ皆さん、患者さんに支持され、その前に患者さんがちっぽけな大和成和病院にわざわざ手術を受けに来ていただいた。その幸運にこたえる意味で、何とかその幸運を自分のノーブレス・オブリージュ(Noblesse Oblige)という、自分が得た立場、あるいは自分の置かれた立場から、当然社会に対して還元しなければいけない、恩返ししなければいけないこととして、今後もやっていきたいと思います。私自身のやってきていることはほんとに自画自賛で、皆さん「自慢ばっかりしやがって」という話になるかもしれません。
 もう一つ、最後にあるのは今の大和成和病院のスタッフというか、チームです。とにかく心臓の手術はたくさんやらなければいけない。でも1人の人間がたくさんやって、そこでお山の大将になっていると駄目ですよと。海外にはたくさんやっている人がみんな軒を並べて一緒の病院でやっているわけです。そうなると1人、変な人がいると、そこで働けないということです。私自身はこれを「並列コンサルタント」と言っています。コンサルタントというのは手術を自分でできる一人前のプロということです。そういうプロが1カ所に3人、4人集まるという状況がどうやって日本で作れるのかと模索してきたわけです。それがほぼ実現に近づいていると思います。
 きょうは私自身の自慢のコンサルタントの1人である副院長の小坂先生、それからコンサルタントになる直前の武藤先生は小児病院に半年、去年の終わりから今年の初めに行ってまして、4月からまた大和成和病院に復帰しました。それから倉田先生は、私がきょう東京で途中ほうってきたしりぬぐいで審査員をやっています。ああいう方々がいらっしゃるから私自身がこうやって好き勝手にできて、皆さんの前ででかい面で大きな口をたたけるわけです。それを支えてくれるスタッフということです。本当にありがたいと思っております。(拍手)。