2007年10月8日講演会にて(大和市保健福祉センター)

いつもチャレンジ精神で     草野 仁(TVキャスター)

何かをやろうと思った時が適齢期

 私は昭和42年、放送記者という仕事をしてみたいという希望を持ってNHKの入社試験を受けましたが、合格して採用されたのが何とアナウンサーでした。こうして話を伝えるという仕事を40年も続けることができたのは、2つの理由があると思っています。1つは人間というものは能力の幅が結構広いということです。自分ではここが一番強いと思っていたけれど、それ以外にもやってみるとかなりの能力をもっている分野がほかにもあるなということです。もう1つは話すということにエネルギーを注いで、自分の意思を伝えることを大事にすれば誰でも話し上手になれるということです。ですからぜひ今日を境に話すということに愛情を持って接していただきたい。

 ところで、私が担当しておりますTBS系列の番組「日立、世界不思議発見」はスタートして22年になりました。この番組の両サイドを固めていただいているのが黒柳徹子さんと板東英二さんです。黒柳さんはどんな忙しいときでも毎回、番組の内容に関連した書物を読破して出演されることを22年間も続けておられます。自分を冷静に見る目をきちんと持っていて、そのために欠落したところを徹底的に埋める努力を継続的にされる能力を持った方で、芸能界広しといえどもとても黒柳さんのような真似は出来ません。また、板東英二さんは、番組の収録が終わると必ず私の部屋にやってきて、あのときはこうすれば良かったと番組の反省の弁を述べるという関係がもう20年以上も続いています。板東さんは番組全体が光り輝くものにならない限りは、そこに身を置いている板東英二も真価を評価されないという俯瞰的な見方を持った方で、自分がどう機能したらこの番組が一番いい形になるのかということをとてもクールな目で眺めておられます。
 私は63歳になりました。これまで、日本人とは何かということを取材したり考えてきましたが、私たち日本人は1つの特性の中に、年齢に対する神経質といってもいいぐらい細やかな感情を持っています。仕事をする上でも、目上の人であれば敬語を使うなど、自分の周りにいる方の年齢というものに細やかな神経を配っています。プラスの面では美徳に作用することもありますが、逆にその年齢に対してマイナスに働いている場合もあります。50歳になったある企業の管理職が、仕事にも関連するので英会話を勉強しようと思いました。そう思ったからチャレンジすればいいのですが、ふと年齢に細やかな神経を持つあまり、待てよそうはいっても50歳か、若い時ほど記憶力はないし、執着力もない。やはり今からやるのは無理だと年齢というハードルを置いたまま立ち去っていくケースがけっこうあります。
 しかし、今日、女性は平均年齢85歳、男性は78歳を超えました。平均でそれぐらいですから、エネルギーがあって元気な方は人生90年、100年という時代を生きぬいていかれます。とするなら、年齢は何かやる場合の阻害要素には決してなりえない。むしろ、何事かをやろうと思ったそのときがその人の適齢期で、そう思っていただいてチャレンジすることが大切なのではないでしょうか。一番大事なのは、チャレンジした以上、途中で投げ出さないで、黒柳さんのようにしつこく、時にはしっかり交わっていくということが大事で、そうすれば先生が教えてくれなかったような新しい発見が生まれてきます。そういうことに親しんでいく中で、自分自身の新たな可能性の発見も生まれてくるのだと思っています。
 そういう意味で、年齢に細やかな神経を配る、美徳に対する作用はいいとしても、細やかに考えるあまりマイナスの方向に発揮してはならない、いやむしろ前向きにやりたいことをやっていくことが、今の時代には一番大事なことではないかと思っています。年齢は事をなすことの阻害要素には絶対にならないので、やろうと思ったら、その時を吉日としてチャレンジし、最後まで頑張っていく、それが長い人生を充実感をもって生きていくために大事なことだという気がしてなりません。
 私はどういう生き方が人生の成功者、勝利者かというと、もうじき人生も終わるなというときに、来し方を振り返って、自分なりに結構頑張ってきたな、自分なりに結構いいこともあったなという思いになることこそ、本当の意味での人生の成功者、勝利者なのではないかという気がしております。
(編集部の責任で講演要旨をまとめたものです)