2006年10月29日 10周年記念講演

患者さんのこと、これからの医療のこと

南淵明宏

大和成和病院心臓病センター長

 ブラッククジャックの影響?

 今日はこんなにたくさんお集まりいただきましてありがとうございます。
 11月5日の日曜日の夜に、NHKスペシャルが手塚治虫を取り上げます。皆さんは手塚治虫の「ブラックジャック」という作品をご存じだと思いますが、MHKからそれが今の僕の治療、診療、手術にどういう影響を与えているかという取材を受けました。
 僕はブラックジャックに関する本にも書いていますが、そこで、ブラックジャックというのは、手塚治虫が描いた医者の漫画ですが、僕は医者になるにつけ、ブラックジャックという手塚治虫の漫画には全く影響は受けていませんと、はっきりと明言しています。
 それでNHKスペシャルが、「ブラックジャックが21世紀に残したもの」というテーマで番組を撮りにきました。「南淵先生、ブラックジャックはどうでしたか」「さあ、よく知りません。私には関係ないですよ。どちらかというと、『火の鳥』です」と盛んに言ったんですが、果たして11月5日にそういうふうになっているのかどうか疑わしい。(笑)
 NHKの編集でゆがめられて、手塚治虫のブラックジャックがそのまま、その魂がこの南淵に宿ってる、とでたらめなことを言われてしまうかも知れない。そういう番組になるかどうか。皆さん、NHKの編集力をとくとごらんください。僕自身は全く逆のことを言ってますからね、本当は(笑)。
 考心会10周年、おめでとうございます。幹事の皆さん、本当にご苦労さまでした。当初、幹事の方は少なくてだんだん増えてまいりました。また、会員の皆様のご支援もありました。機関誌「考心」が年に2回出ますが、この「考心」の最後のほうに会員の感想やお便りを紹介するコーナーがあります。皆さん、それを穴のあくほど読んでいますね。特に入院した患者さんは病棟であの欄をほんとによく読んでおられます。やっぱりウソがないということなんでしょうね。正に本音なんです。ああいうところに皆さんはすごく敏感に感じて、手術をお受けになる。そういうことで本当に、僕自身あるいは大和成和病院の医療は考心会で支えられてきたという現状があります。

  考心会は非常にユニーク
 
 考心会は非常にユニークです。今日、皆さんにお配りした『心臓病との闘い』という本、これはすごくユニークですね。こんな本があるのかということで僕はもうほんとに自慢です。 
 まさに今言いました「考心」という機関誌の最後にある感想とお便り、これはあれの豪華版ですね。72人の方が長文でお書きになられているということで、それぞれ視点や書き方は違いますけれども、本当に生の声という気が致します。こういったことができるのも考心会のユニークさであるわけですが、その根本にあるのは、まずここにありますように、病院が音頭を取ってつくった会ではないということ。あくまで患者さん主体の会であるということですね。
 こういう会はほんとにまれです。しかも、自主的に活動しておられる。本を作ったり、その前にはアンケート調査もやりましたが、あれよあれよという間に、どんどん、具体的な活動をされてこられました。
 しかも10年続いています。これもすごいですね。10年を一つの節目というふうな言い方をします。英語でも「ワン・ディケイド(one decade)」といいますね。長く続くというのは、これからもまたさらに続くであろうというふうに思うわけです。それに考心会は建設的意見の会です。こういうところで、皆さん、集まりますと、「不安だ、どうしよう、心配だ、傷が痛い」ということになりがちかも分かりませんが、決してそうではなく、皆さん、ほんとに建設的な意見をおっしゃるということですね。
 これは大和成和病院における心臓手術数の伸びです。今日、お配りした本の中にも、深津さんが書いておられますが、最初の96年、97年の頃というのは患者さんはあまり多くはなかった。だんだん増えていくわけですね。まさに右肩上がり。最後のほうの2004年と05年はちょっと減ってますが、今年の06年でまたさらにグーンと挽回しております。600例近く行くんじゃないかなと思っておりますけれども、こういう躍進ができたのも考心会の皆様のおかげだと考えております。
 これは何か変わったことをやったわけではなく、僕自身はあまり好きな言葉じゃないんですが、こつこつ地道にというか、結果的にそうなったんですが、とにかく病院としては、これだけ患者さんが来ていただいたということです。

 患者は勇気の人、偉い人

 心臓の手術を受けに来る患者さんに共通すること。それは決断と勇気の人であるということです。皆さんは病気であるという通告を受け、「えっ、そんな。何で私だけが」という気持ちになり、奈落の底に突き落とされてしまう。それで手術という手段を自ら選んで、自分の足で大和成和病院に来られて手術をお受けになった、手術を克服されたわけです。現実的に手術を克服されてますが、その前に精神的に打ち勝っている。そういう意味ではほんとに偉い人です。
 実はこの前、風邪をこじらせてしまい、ウイルス性のリンパ節炎になりまして39・8度まで熱が出て、大和成和病院の病室に10日ほど入院しました。熱が出て苦しい、口内炎ができて物が食べられず、ほんとにつらい思いをしました。それで点滴を受けたんです。水もちょっと飲めない状態でした。点滴で水分を補給するということは、良かったんですが、点滴を3〜4日も続けたので、点滴を抜いた後、痛いんですね。今でも痛いです。やっぱり患者さんって、こういうつらいことがあるんだなと思いました。
 皆さんは、そんなことは言わないですよね。傷が痛いとか、そっちのほうが大きいからかもしれませんが、点滴を受けるだけでもほんとにそういったつらいことがあるんだなと思いました。静脈炎を起こしているので、1週間ぐらいたっても、まだ痛いんですね。日ごろの僕らは、病棟で患者さんを診てますとそういうことすらあまり感じない。そういう患者さんの経験をさせていただきました。

患者は病気をデジタルに捉える

 しかし、一般の患者さんですね。僕が出ているテレビの番組とか、取材に来る雑誌の人たちが考える患者さんは、病気の診断、治療をデジタルにとらえるんです。デジタルというのは、イエスかノーかというふうにはっきりと区別するわけですね。例えば心臓病、狭心症。狭心症でも薬で様子を見ていればいいものと、カテーテルで治療しなきゃいけないもの、バイパス手術を受けないといけないもの、あるいはバイパス手術も受けられないような、いろんな段階の患者さんがいるわけです。しかし、患者さんというのはそれを一つの病気として一色にとらえてしまう。
 例えば胃がんの中にも、逸見正孝さんのような方の胃がんもあれば、大橋巨泉さんのような胃がん、王監督のような胃がんもあってそれぞれなんですが、みな同じ胃がんにとらえてしまうという傾向が非常に強いです。
 治療も同じです。治療に関していえば、手術、弁置換、大動脈の人工血管置換、それからバイパス手術。これもどこでだれがやるかということを全然考慮されないで、みんな同じようにあたかも、高血圧のプロプレスという薬を投与するのと同じように、血管が詰まっているからバイパス手術をする。どこでだれがやっても同じ。薬を処方するのと同じですね。そういう感覚でとらえられがちな気がします。これは一般論ですよ。

 医者に万能を求めすぎる

 それから、医者に万能を求め過ぎるというきらいがあります。ある時テレビに出ていると、子供さんがいるタレントがいて、「小児科の救急外来に行ったら、先生が、これは心配しないで体を冷やすだけでいいです、薬は飲まないほうがいいですよと言われたんですが、この先生はいい先生ですか、だめな先生ですか」ということを聞かれるわけです。
 そんなことを聞かれても分からないのですが、少なくともそのお医者さんというのは子供さんの熱が出たのを何百例、何千人と診ておられてその結果の結論なんです。その結論たるや、例えば皆さんが手術をしなければいけない、あるいはカテーテル検査、カテーテル治療でいいかどうかというのと同じで、はっきりと100対ゼロで決まっているわけじゃなく、51対49とか、47対53とか、そういうぎりぎりの線で、どちらかというとこちらがいいんじゃないかなという、いわば苦渋の決断であるわけです。
 そういう過程を知っていればそんな質問は出ないわけですが、ただ、病気というと数学の問題を解くように、こうなってこう、答えはこれに決まっているというふうな考え、あるいは医者がそう考えるだろう。あるいは医学、医療というものは、そういうものに違いないというふうに患者さんというのは考えがちであって、これは間違いですね。
 患者さんがそういう考えを持ってお医者さんにかかられると、医者のほうとしては非常につらいですね。結果が芳しくなければ、それは間違いである、どこかのプロセスで明らかな誤り、勘違い、ミス、思い違い、知識のなさがあったからこうなったに違いないという発想になってこざるを得ないわけです。
 ところが医学は非常にあいまいで全然万能じゃなくて、一生懸命、人間が考え出して、ひょっとしたら間違っているかもしれないけどこうかもしれない。あるいは前の患者さんでうまくいったから今度の患者さんもうまくいくんじゃないかなというふうな、非常にアバウトであるんですが、現実の目の前の患者さんの問題点、病気を何とか打破しよう、打開しようとしていろいろやっている結果に過ぎないんだということを、皆さん、ようくご理解いただきたいんです。
 ここにいる患者さんたちというのは、それはもう重々ご存じだと思います。ですから心臓手術を受けると決断されたし、またうちの病院に来て手術をお受けいただいたと思うんですね。しかし、世の中にはそういうふうにとらえない人もいるのかもしれません。「いるのかも」とは、実際にそういう患者さんがたくさんいるというよりも、テレビやメディアが考える、一般の人たちの患者さんの像というのはそうなんですね。

 「患者は私が助けます」は困る

 その典型が最近はドラマになっている「ドクター何とか3」という番組ですね。主人公は離れ小島にいてお医者さんをやっているわけです。島民が病気になると、「患者さんは私が助けます」と言うわけです。そんなことを言っていいのという感じで、平気で言ったりしています。
 恐らく患者さんからすると、こんなお医者さんがいたらいいんだなと思うでしょう。だれだって思いますよ。目の前にお医者さんが来て、「絶対に私が助けます」とを言ってもらうのはすごくうれしいですよね。
 でも、実際にほんとにこういうことを、患者さんあるいは社会が求め出すとなると、医者はちょっと困る。あるいは医者から見たら、何て不遜なやつだ、ふざけるな、医者っていうのは患者さんの病気が治るのを手助けするわけであって、病気が治ったらそれは患者さんの勝利、患者さんが自分でつかみ取った勝利であって、それを医者が助けているだけに過ぎないと、こういうふうに思います。
 これは僕だけじゃなくて、多くの人がそうだと思います。自分としてはほんとに難しい手術でも乗り切ったな、よかった、よかった、結果がばっちりだというようなもので。しかし、それは自分の力じゃない。何かに助けてもらった。強いて言えば患者さんの運命。患者さんの運命が患者さんを助け、そこに自分をヒーローにしてくれる、そういう筋書きがあったんだと考えるわけです。

 医者のヒエラルキー

 そうじゃなくて、平気でこういうことをテレビで言っていただくというのはほんとに困るんです。しかし、この考えの中には、こういった医学が、病気で不安になる、苦しんでいる患者さんをとにかく勇気づけようという、いわばリップサービスといえるのかもしれません。しかし、医者の不遜な考えというものが潜んでいるんではないか。それが根本にある、今の医療の問題のほんとの根源じゃないかなと、自分では昨今考えるようになりました。
 病気は論文を読んだら治るというふうな医学万能の発想ですね。論文を書いたらもっと治る、論文を書くのが素晴らしいと。教授が診たら絶対に治るということですね。米田教授がおられますから、まずかったかな。来られる前に言いたかった(笑)。
 「病気は必ず治る。ただし、偉いお医者さんが診れば」というふうな、お医者さんの中で、あるいは医学アカデミズム、医学的な高い、低いというものですね。そういったものの序列を、お医者さんがつくろうとする。ですから、大きな病院の偉い先生、それから小さな病院の開業医さん。もう明らかに序列があるという、これはほんとに医師社会の中でのヒエラルキー、士農工商的な考え方ですね。
 それがやはり今の大きな問題を招いたんじゃないか。患者は病院に手術を受けにくるのであって、外科医、お医者さん個人に手術を受けにくるわけじゃない。手術なのか、数さえあればだれでもできるという考え方だと思います。つまり、手術というのは、うまい、下手があるということが全く前提になってないんですね。というか、手術というのは、うまい、下手なんかない。さっき言いました高血圧のプロプレスという薬を投与するのと同じなんです。手術といえばもう手術、だれがやっても同じ、どこでやっても同じ。こういうふうな発想ですね。薬というのもそうでしょう。だれが処方してもどこで飲んでも、みんな同じように効きますからね。

 専門医は免罪符?

 例えば2年前の年末ですが、東京医大で4人の患者さんが亡くなりました。執刀した45歳の先生が専門医だったんですが、専門医の資格をなぜか学会が取り消してしまった。それは非常におかしいと思います。変な医者がいてとんでもないことをやったということで、みんなが「じゃあ、あいつなんか除名してしまえ」ということになった。もちろん医者の学会の中でもいろいろけんけんがくがくの議論があった末ではあるんですね。
 そういう状況からしますと、やっぱり医師社会の内部でも非常に大きなぶれがあります。僕自身がさっき言った、手術のうまい、下手は明らかにあるじゃないか、どうするんだという意見も相当な数を占めていると思うんですね。いろいろと議論はなされたようですが、しかし結果的に新聞を騒がせてしまったお医者さんということで、専門医の資格を取り消されてしまいました。
 非常にかわいそうです。しかし、この専門医というのはもともと自分がどれだけ手術をやったかというのは自己申告で、それからペーパーテストをやる。それで資格としてもらえた。今でもそうですが、だれでももらえる、ざるみたいな専門医資格なわけですね。
 それで1000人以上の人間に専門医を与えておきながら、こうやって新聞で問題になると、あいつだけだめだということになってしまう。結果的にはそういうことになってしまいました。これは非常にまずいことになったと僕は思っています。
 なぜかというと、専門医というのは僕自身も持っていますし、医学博士も持っています。これは正直に言いますけれども、やっぱりそういうものがないと格好悪いというか、そういう資格が少しでもあれば自分の信頼につながるんじゃないか。あるいは、ないと手術をするなというような制約を受けるんじゃないかと、いうような恐怖心をあおり立てられて、専門医なり、医学博士なんかを取っていくわけですね。これは僕だけじゃないです。みんながそうですね、今までは。
 でも、これからは違うと思います。なぜか。今までは何か問題があったら、ひょっとしたら自分は専門医だということで、社会や患者さん、あるいは取材に来た新聞記者が、「あなた専門医ですか。じゃあ一生懸命、手術をおやりになったわけですよね」と見逃してくれるというのは変ですが、一つの免罪符になるんじゃないか。こういうふうにみんな考えていたわけですね。今、心臓外科の専門医というのは2000人ぐらいいます。脳外科も3000人、婦人科は1万人いるわけですね。そういう皆さんはみんな専門医を持っています。
 学会で講演させていただいても、学会に行って講演を聞くとそれが点数になるんですね。1点。判こを押してもらって、それでその点数を毎年毎年ためていかないと専門医の資格を維持できない。そういう専門医であるわけです。でも、みんなの心理状態は100人が100人、例外なく、何で専門医をみんな取ろうとする、あるいは維持しようとするのかというと、とにかくこの漫画にあるように、裁判になったら、ちょっと大目に見てもらえるんじゃないかなと、そういう発想なんですね。
 今度は福島県の福島県立大野病院の話です。新しい病棟を新築しました。そこへ大学の医局の産婦人科から1人のお医者さんがたった1人で派遣される。その1人のお医者さんが、年間200件も出産をやる。そういうものすごい過酷な労働。僕なんかの何十倍も忙しいと思いますよ。不幸が重なって、ある患者さんが亡くなりました。それに対して「おまえ、あそこの病院に行ってこい、1人で」と、それを指示した大学教授が、その死亡例について鑑定意見書を書いてミスを断定したということですね。それで逮捕されたという事件が去年起こりました。
 こういうふうに専門医の学会の資格を頼みにしても、学会から切られてしまう。あるいは大学教授に「おまえ、行ってこい」なんて言われて行ったのに、そこで何かあると、大学教授から「何だ、おまえ、だめじゃないか」と言われてしまう。要するに、大学からも切られるし、学会からも切られる。

 減ってきた心臓手術

 日本における心臓バイパス手術は、2002年を境に、下がってきています。これはカテーテル治療によるドラッグ・イリューティング・ステントという、いいステントが開発されたからだと言う人がいますが、実はそのステントは04年に開発されているんです。
 ですから04年は一番右側です。さらに05年はもっと下がっていると思います。そのステントが開発される前から、実はバイパスの数は減ってきているんですね。こういうふうに心臓の手術の需要は下がってきているという状況にあります。その理由は何でしょうか。僕もよく分かりません。でも、患者さんが賢くなっているんじゃないかなと思います。
 さっき専門医が2000人いると言いました。2000人いて、例えば今、バイパスの数は04年で1万9000件、大体2万件だとします。2万件の手術を2000人の人が手術するということになりますと、1人当たり平均10件ということになります。年間平均としてはすごい少ないですね。
 そうなるとこれは標準偏差。真ん中に平均値。上は讃岐富士ですけれど、これは釣り鐘状の平均値になるんじゃないかと皆さんは考えられるかもしれません。つまり平均値、例えばこの中で身長を測って165センチの人が何人いるかというのが、この縦の棒グラフ。これは棒グラフじゃなくて山のようになってますが、縦の棒グラフをたくさん並べて一番てっぺんだけをなぞったのが、この釣り鐘状の黒い線というふうに考えていただければいいんですけど、ヒストグラムというんです。例えば、皆さんの身長だと、恐らく平均した平均値のところに、実際の身長165センチの人の人数がピークになるというのが、こういう標準偏差という現象です。
 従って、先ほどの1年間にバイパス手術が2万件行われている。医者が2000だと平均1人当たり10件というふうに単純に計算するわけですが、実は全然違う。本当は平均値というのはこういう分布をしてるんではないかなと、あくまで推測ですけれども、まず間違いなく正しいと思うんです。この平均値というのは、わずか年間10件という平均値がここにある。20件と書いていますけれど、多く見ても1年間20件。
 しかし、これで見てください。ヒストグラム。平均値が年間20件やった人というのは、実はほんとに少ない数なんですね。それ以上やってる人というのは、なだらかにずっと30件、40件、100件、150件。僕とか、倉田先生、あるいは藤崎先生とか、みんな、右のほうのずっと少ないところに入っているんです。9割ぐらいの人が、この左側の平均値を大きく下回る部分にいらっしゃるという、現実は厳しいという分布ですね。
 このように実態を段階的に説明してきましたけれども、お医者さんが心臓外科であれば、脳外科にもいえると思うし、産婦人科にもいえると思う。専門医ということで厳しい状態ですね。しかし、これは医者が招いた種じゃないか、ちょっとしか手術をやってない、そういう人をのさばらしておくからだといえるかもしれませんが、とにかく現状としては、ああやってメディアにたたかれます。
 でも、専門医という資格は、医者がつくってきた、学会がつくってきた。そういうシステムが全然世の中に通用しないばかりか、医者の社会自体が「おまえ、専門医じゃないよ」というようなことで、非常に敗北的な態度に結果的に出てしまっているということ。それから、医師社会の中で、さっき言った教授が派遣しておきながら、「あんた、だめよ」という話にしてしまう。現実の問題として一人当たりの患者さんの数というのはすごく少ない。

 病院全体でサポートしない

 僕はよくよその病院で行われた裁判の意見を求められることがありますが、一生懸命おやりになられている病院もたくさんあります。少ない手術でもほんとに丁寧にやっていらっしゃる。ところがその少ない症例であるがゆえに、やはり病院全体がサポートしてないという病院がたくさんあります。
 例えば手術をやる。心臓の手術はうまく行ったんだけど、集中治療室(IUC)から帰ってきたら、ドレインから出血が始まった。これはもう1回、手術室に戻って開けてみようというふうなことになる。ところが少ない症例で、ほかの手術をたくさんやっているけれども、心臓の手術は月に1回しかやってない。
 そういうふうな病院ですと、「えっ、心臓の手術をもう1回やり直すんですか」というようなもので、対応が遅れてしまって手遅れになってしまうという病院もあります。すごいかわいそうですね。にもかかわらず、その心臓外科の先生はそこの病院を辞めなきゃいけないという状況になりました。
 この事実を見て僕は本当に気の毒だと思います。心臓外科の先生はみんなよくやっているなと思います。それが5年ぐらい前まで小さな個々の例だったんですね。ところが、最近はそういったことがこの国の心臓外科医の中で一般的な、ほんとに浸透しているような話になってきました。
 心臓の手術なんか大変でやってられないよということなんですね。病院では同じスタッフに足を引っ張られて内部告発されたり、院長が知らない間に警察に届けてしまう。患者さんが死んだ。「じゃあ、警察に届けよう。でないと新聞社が来て困るから」、とにかく患者が死んだらみんな警察に届けちゃえという病院もあったりします。
 病院はなぜかいつも赤字だ。これもおかしいんですよ。今まで僕はここの場で「大きな病院、国公立病院は何をやってんだ」というようなことを言ってましたが、それを通り越してどうしてあんなに赤字なんでしょうか。土地、建物、みんなただで借りていて。大和成和病院はいまだに、まだ土地や建物の借金を払ったりしているわけですけどね。
 でも、市民病院、公立病院、国立病院はそういう必要がないにもかかわらず、なぜかずっと赤字。そしてお医者さんの給料がすごく安い。何でですかね。バイトもできない。看護師さんもなかなか働かないということです。原因は医者が悪いんです。医者が質の管理をしてこなかったからです。手術の上手なお医者さん、熱心に働くお医者さんと、そうでないお医者さんを全部一しょくたにして低めてきた。

 現場から逃げ出す医者

 それから、結果的には手術が上手なお医者さん、一生懸命やるお医者さん、患者本位のお医者さん、僕からいわせると病院のために頑張るお医者さん、そういった人たちを全くほったらかしにしてきました。結果的にそういった人たちが逆に浮いてしまって働きづらくなってしまった、そういう結果だと思うんです。
 とにかく治療をやって、ひょっとしたら患者さんが死ぬかもしれない。大変なことになるかもしれない。こういうものに関していろんな原因があると思いますが、患者さんの要求度が高くなったということ、あるいは病院の中での人心が荒廃して、みんなが互いに信用できなくなったということ。
 それから、経済的な利潤追求の透明性ですね。そういったものが旧態依然として、全く現代的なものにならないということ。それから、やっぱり患者さんが結果的に亡くなることもあったりして、それに対して、今まで病院、医師社会というものが、あいまいに過ごしすぎてきたと思うんですね。そういうふうな付けが回ってきたということなんです。
 何度でも言います。医者の側が悪いんですけれども、今、ほんとに30代、40代。こういうリスクのある治療をやるお医者さんが現場から逃げ出すという現象が雪崩のように、目立ってきているといわれています。まさにに医療大崩壊時代ですね。
 皆さんが、例えば大学病院から大和成和病院にご紹介いただく。すると僕ら自身は「やった。大学病院、ざまあみろ」てなもんで勝ち誇っていた時代がありました。これまでそうだったんですね。
 ところが、今はもっと通り越して肩透かし的に、大学病院の心臓外科の先生から「ちょっとリスクがありまして、我々の手に負えません。お願いします」。前は内科の先生が「うちの外科は信用できないから、先生、お願いしますよ」ということだったんですが、最近は外科の先生が「うちではお手上げです。もうやらないほうがいいと思います」というように、患者さんをご紹介いただくようになってきています。

 リスクのないコンビニ医療

 こういうふうなことで、今後は全然リスクのない「コンビニ医療」と僕は名付けていますが、収入も低くていいや、でもリスクはない。リスクがないと、このリスクというのは、患者さんのリスクもさることながら、自分自身がこうむるかもしれない、医者自身がこうむるかもしれない訴訟であるとか、家に火をつけられるとか、そういうふうなリスクですね。もちろん訴訟のリスクもない。労働加重が低い。5時に帰れるということにお医者さんがシフトするんじゃないか。
 アンチ・エージングというのは特にそうですね。病気の原因は加齢である。加齢を防ぐ治療というのがアンチ・エージングです。これは予防医学です。健康な老後、充実した老後ということになると思います。アンチ・エージングというのは、、僕みたいに心臓だけを治すというんじゃなくて、体全体をトータルにバランスを考えながら診ていくという治療でもあると思いますね。
 だから、予防医学、病気になる前に健康を維持しましょうということは本当に理にかなってます。そちらのほうにお医者さんの力点、人材やエネルギー、あるいは産業としてのもうけの構造といったものが、どんどんシフトしていくんじゃないかなと思っております。   
 実は昨今、NHKや新聞に出たと思うんですけが、私が卒業した奈良医大の近くにある大淀町立病院というところの分娩に関して、脳出血を合併された患者さんがなかなか上位の脳の手術もできるような病院に取ってもらえなかった。あるいは判断が遅れたということで、さかんにメディアに批判されました。
 これに至っては、確かにご遺族の方の痛ましい映像というのは胸が詰まる思いがするんですが、同業者として見た場合、確かにご遺族は大変だろうなと思うんですが、同時にお医者さんのほうもこういった状況の中で治療をする、また深夜を回る状況ですね。それからお1人のお医者さん、産科の先生は60歳です。ずっと地域で産科の医療を支えてきた、ほんとに大学教授なんかじゃない、全く実践の現場の人ですね。
 その人の結果的な判断ミスということになるのかもしれませんけれども、すぐに脳出血ということが診断できなかった。しかし、診断できていたとしても治療結果がどうなったかと考えると同じだったんじゃないかなと思うわけです。こういう状況に至りましてはほんとに大げさに言うようですが、ちょっとこれは世の中、1ページ大きく次の章に入ったなあと思います。
 ああいったことで医療機関や病院をほんとに揶揄することで、いったい何が生まれるのかということを、NHKも毎日新聞もよく考えていただきたい。何が生まれるかというよりも何が失われていくのか。相当なものが失われたと思いますね。今ここに申し上げたような、お医者さんにとってちょっとでもリスクのある患者はもう診ない、怖い、やめとこう、大変だ、自分だけじゃない、病院に迷惑をかける、新聞のやり玉に挙げられる。怖い、やめ、やめ。こういうふうな考えがものすごく強くなったと思うんですね。日本のお医者さん、全部だと思います。今はそういうふうな流れになってきていると思います。

 現場の医療を真剣に考えよ

 皆さんは心臓の手術もお受けになられ、病院というところを一つじゃない、二つ以上の病院で入院されたり、あるいはお医者さんをたくさん見てらっしゃると思います。医者を見る目が非常に肥えていらっしゃると思います。当然、その中で医療を見る目をお持ちだし、医療に対するお考えも具体的にお持ちでいらっしゃる。そういった意味でこういったお話をさせていただいたんですが、今後どうなっていくのかというのはちょっと見ものじゃないかと思います。この半年、1年の動きですね。ほんとに現場の医療をどうしたらいいかということを真剣に、だれかが一生懸命に時間を費やしてやらなきゃいけないんじゃないかなと、強く思う次第であります。ご清聴をありがとうございました。(拍手)。