南淵明宏(大和成和病院院長) 2008年5月25日総会(大和市保健福祉センター)

心臓外科手術がさらに大きく洗練されていく

 本日は天気もあまりよくないところ、こんなに集まっていただきましてほんとにうれしい限りです。いつも言うことは同じですが、こうした患者さん、かつて患者さんであった皆さんの元気なお顔を見るというのは、自分自身 の心が洗われる思いであります。また同時に、こういった場に図らずも参加できない状況になってしまった患者さんのことも、思いをはせてしまいます。

 自分で体験しなければ患者の気持ちは分からない

 そういった意味で、私自身、大和成和病院に来る前から、頓宮さんのご尽力をいただいてこういう会が催されておりますが、そういった意味では私が心臓外科医として世渡りをさせていただいているこの10数年間において、常に半年ごとに私自身のリセットというか、ガソリンスタンドに入って車が給油するみたいな形でエネルギーをいただいています。前回の考心会は去年の10月にありましたが、それから今日までにどんなことがあったのかということを反省、あるいは思い返せずにはいられない、そんなイベントだと思っています。

 私中心にお話しして申し訳ないんですが、お顔を拝見しておりますと、この考心会に非常によくご出席いただく方がいらっしゃいます。遠方から来ていただく方も大勢いらっしゃるわけですが、やはり同じように半年、半年というものがいい形で節目になっているのではないかと想像している次第です。この半年の間に起こったことといいますと、私、円形脱毛症になってしまいました。(笑)これは大変なことになったなと皮膚科に行きましたら、「これ、原因不明です」「まあ、ほっとけば治りますよ、大体。治らない人もいるんですけどね」なんて言われまして、患者としてはドキッとくるわけです。ほんとにそうやって自分で体験してみないと、患者さんの痛みというのはわからないなとつくづく思いました。
 その後、電車に乗ったり巷を歩くたびに、男性の頭髪に目が行ってc。それまで全然気にしてなかったんですが、「あっあの人、若いのにはげてんじゃない」とこういうレベルだったんですが、やっぱり見る目が変わりました。若い背広を着た方でびっちり決めててもこの辺がはげて、あっ苦労してるんだなあというふうな目で見れるようになりました。私、人の気持ちがわからないんですが、しかし一生懸命わかるように努力しなければいけないんだと思うようになり、そういうことも全然体験するまではわからなかったなということで、私自身少しは人間的にこの6カ月で成長したんじゃないかなと思ったりしています。

 自分のことは自分の目で確かめて自分でやる

 先ほど吉村さんの話がありましたように、後期高齢者制度というとんでもない制度が実施されて、4月からやると決まったのが確か2年か3年ぐらい前ですね。ところが実際始まってみると、割合そういったことを考えるべき立場の国会の方であるとか役所の方の知らない面も多々あって、例えば65歳以上の身体障害者1級の方がその中にほぼ無理やり入ってしまうような状況があったりとかします。えっそんなの知らなかった、そんなのいつ決まったの、なんてことをおっしゃっている方もいらっしゃいました。誰だかは絶対言わないでほしい、というふうに言われたので名前は言いませんが、あっと驚くようなことをおっしゃっていましたね。
 だからそれはやっぱりこういう日本の法律だとか国の仕組みだとかいうものは、そういうことの常であろうと思います。だれか悪気があるわけじゃなし、そんなふうにして決まっていく。例えば年金を全部税金にしてしまったら消費税が20%近くまで上げなきゃいけないというような議論でも、その計算方法がおかしいんじゃないかということで、みんな、けんけんがくがくになってしまうわけです。
 ですからやはりこうなるというか、やっぱり生きていく基本というのは、自分の目で、自分の身の回りをしっかり見据えて、何がほんとで何がうそかということを自分の足と耳で確かめるということが何事においても大事なのかなと思います。例えばこの中にもいらっしゃるかもわかりませんが、そういう身障者の認定であるとか、情報の入手なんかを自分でやらなきゃいけないということですね。
 もちろん医者、あるいは医療機関は証明というものを書いたりするわけですが、そういったものに該当するか、あるいは該当して、それがどういった形で認定してもらえるか。認定していただいたら、それがどのような形で使われるのかというようなことは誰も全然教えてくれない。外形的にいえば、そういう役所というのはものすごく不親切極まりない、無慈悲なところといえるかもしれません。しかし役所にいらっしゃる方はそれはそれなりに一生懸命やっておられるわけで、自分のことは自分で考えてみて、確かめてやらなきゃいけないということに尽きるのかなというふうに思ったりしております。
 後期高齢者制度がどういうふうになっていくかわかりませんが、とにかく後期高齢者制度のおかげで、1月、2月、3月といろんなニュース番組、討論番組にお呼びいただきました。テレビ朝日の「TVタックル」、フジテレビの「マッチメイク」、日本テレビの「NEWS ZERO」とか、いろんな番組に呼ばれました。私は大和成和病院で心臓外科医をやってますが、そういう制度が実際にどうなのかということはあまり知らないんです。テレビに出ることによって、そこで知識が増えるわけです。
 全然知らなかった話を、テレビのディレクターさんからいろいろ情報をいただいたりする。そういう形で討論の準備が進んでいく。自分でいろいろ資料を集めて調べるのは大変なことですが、仕事をしないでもいろんなところから情報が入ってきたり、あるいはしかるべき立場のお方からも直接お話が聞けたりする、そういう機会を得たりしております。
 テレビに出るために非常に短い期間、短い時間で準備するということもあるんでしょうが、私自身そういうことを本職でやっているわけではないものですから、正確ではないだろう、あるいは一生懸命に体張って主張してる、議論してるんじゃないだろう、と言われたら全くその通りなんですけど、そういう立場であるから、俯瞰的、客観的にどちらの立場にも片寄らずに情報が入ってくるような気がして、この1月から今までの間においてはいろんな情報が私のところにもたらされたという意味では、自分で努力しないでも、どんどん情報が入ってきて、いやあ便利な立場だなと思ったりしているわけです。
 メディアの人にもご連絡いただいて、「先生、こんなことがあったんですけど知ってますか」と言われて、「いや、知らない、教えて」とかいって教えていただけるわけです。そんなことでいつまでこんな立場が続くのかどうかわかりません。しかし誤解しないでいただきたいのは、そんなことばかりにかまけて本職をさぼっているわけではないということなので、ご理解いただきたいと思います。

 若い医者を育てること。「教える」とは「教えない」こと

 病院のホームページにもありますが、おととしは200件の手術を個人でやらせていただくことができました。去年は150件ということで少し減ったわけですが、今年は1月から患者さんが増加傾向にありまして、私個人でみても去年よりはやっぱり多くなったかなと思ったりしております。病院全体ということを考えてみますと、数はもっと増えるんじゃないかなと思います。
 この中でもうご存じの方、あるいは実際にテレビ番組をごらんになった方もいらっしゃるかと思いますが、おとといの金曜日の夜の11時ごろ、倉田先生がかっこよく出まして、非常に評判がよかったものですから、病院のほうにもいろんなところからお問い合わせがありました。
 フジテレビのドキュメンタリーで「スーパードクター」ということで、ほかの分野の小児脳神経の先生、あるいは整形外科の先生と一緒に倉田先生も一人の独立した心臓外科医としてテレビに登場していました。番組は人間として、医師としての態度であるとか、あるいは救えなかった患者さんに対する対応であるとか、気持ちであるとか、そういったものが非常によく描かれたドキュメンタリーでした。こうした番組は今まで何度かいろんな局がやっているわけですが、やはりその都度その都度、視点が鋭く、洗練されたものになってきているなというのを、皆さん方も実感されたのではないでしょうか。
 倉田先生は特に僧帽弁の形成術ですね。僧帽弁に人工弁を入れないで形成するということなんですが、どういう手術をやったかというCG(Computer Graphic)、要するにコンピューターでつくった漫画で示すんですが、これがなかなか素晴らしい、驚きだったんです。そういうふうなことで倉田先生のほうも手術症例数を伸ばしています。
 4月から当院に東京慈恵医大から奥山浩先生が来られました。奥山先生もすでに完成された心臓外科医で、40歳を少し過ぎた先生ですが参画していただきました。従来から藤崎浩行先生、それから武藤康司先生もいますから、そういう意味で倉田先生を中心に、現場では藤崎先生、武藤先生、それから奥山先生の4人に加えて、この私も手術室をちょっと間借りして手術をさせていただいております。
 もちろん皆さんのおかげではあるんですが、自画自賛になりますが、そういった心臓外科のヒエラルキーというか、ピラミッドというか、私だけがいいとこ全部を取るというんじゃなくて、若い先生方にどんどんチャンスを与えて一生懸命働いてもらって、私は楽しようというふうな思惑なんです……。(笑)
 いろいろな業界あるいはメディアの方からも、「南淵先生は若い先生を育てた」なんて言われますが、昨日もテレビの番組で聞かれました。「いや、育てたんじゃなくて勝手に育っていただいた」と言っているんです。「いろいろ教えた秘訣、教え方はどういうことですか」なんて聞かれますと、「教えるこつは、教えないこと」なんて言ってまるで禅問答ですね。(笑)この間、新聞見てたら下のほうの広告に、宮大工さんの極意ということで、教えないとかそういう本があって、それをちらっとぱくっただけなんです。まあ頼もしい後輩に囲まれまして、ほんとに私自身のわがままな人生というと変ですが、とにかく心臓外科手術という夢がこの半年間でさらに大きく洗練されたものになりつつあるということをご報告申し上げたいと思います。

 社会で見ている人はしっかりと見ていただいている

 私は考心会で、顧問という立場で参加させていただいて大変光栄なわけですが、考心会は病院のホームページからもリンクできるように、こういった形態の会というものが大和成和病院の医療の結果というんでしょうか、あるいは大和成和病院という医療活動のわきに、しっかりと自立して10年以上たっているわけです。しっかりと盤石に存在しているということは我々にとっても、ものすごく大きな自信で、冒頭に申し上げました私自身の半年ごとのリフレッシュというか、あるいはリセットというか、エネルギーの注入ということもさることながら、やはり社会で見ている人はしっかり見ていただいていると自負しています。
 あいつはテレビによく出てるけれどどんなやつだなんて、ホームページを見られた方は、「あらこんな会があるの、何かあいつちょっと違うね、すごくいいかげんそうなのに違うね」という印象に、皆さん方は達しているのではないかと想像する限りであります。ほんとにいいチーム、またいいご縁と、いい人材に恵まれたなというふうに感謝している次第です。

 医師同士が西洋医学と東洋医学の違いを議論

 ちょっと話がずれますけれど、昨日も「主治医が見つかる診療所」(テレビ東京)がありました。実はこの後に白澤先生の講演がありますが、白澤先生は去年の暮れ、実際の放送は今年になってからですが、「主治医が見つかる診療所」に講師としておいでいただいて、非常に患者さんのニーズというか、要求のつぼを押さえておられるなかなか素晴らしい先生ということでお願いして、今日、来ていただいたわけです。
 このテレビ番組は昨日も収録がありました。私は監修という形で何度も参加させていただいており、同時にテレビに出て自分もものすごく勉強になっております。白澤先生のお話もすごく勉強になりましたが、毎回、毎回、いろんな先生が来て、こんな考え方があるのかなんて大変勉強になります。
 昨日は漢方の話でした。漢方医学と西洋医学の違いということです。西洋医学というのは非常に実証的というか、物質的というか。例えば皆さんが病院に行ったら、血液検査をしてヘモグロビンを測る。いくつあったと数字がはっきり出るんですね。それが10以下だと貧血、15だと結構、血が濃いですね、「どろどろです」なんて言われるわけですが、まさしくそのヘモグロビンという数値に依存している。数値をいわゆる宗教の教義みたいな形で、これが正常、これが異常というふうに思っているわけです。それが西洋医学ではないかと思います。
 皆さん、ほとんどの方が嫌々手術を受ける羽目になったのもこの西洋医学のたまもので、西洋医学的に何らかの検査をして、「ほら見てください、これ。血管が詰まりそうで死にますよ」なんて言われて、「ええほんとなの」と思いながら、皆さん、嫌々手術を受けたということなのかもしれません。あるいは超音波で「ほらこんなに心臓弁が壊れているじゃないですか」と言われて、いや確かに証拠を見せられたら否定はできないということで、皆さん手術をお受けになられたわけです。これは極めて西洋医学的に実証的だということで、別にうそをついているわけではありません。
 もう一つは、画一的な、自分自身が、例えば心臓の弁が漏れてる。いや、自分は違う。いろんな特殊な体験、いろんな物を食べたり、いろんな目に遭ったりして、みな違うわけです。でもあなたと同じようにこういうふうに検査して、こういうふうな結果が出て、こういうふうに心臓弁が漏れてるんだったら、みんな手術をお受けになります、手術を受けないと駄目ですと、みんな横一線に放り込んでしまう。それがもちろん科学の手法であるわけです。
 一方、西洋医学じゃなくて、東洋医学は、きちんと個別にその人の体質であるとか、もちろん心臓の弁がおかしくなっていたり、冠動脈が詰まっているのは薬で治すわけではないんですが、病気というのが個人で別々なんですね。漢方の場合、症状というものに対して、とにかく胸が痛いとか、苦しい、心臓がどきどきするというようなことに関して、脈を診たり、舌を出したりして、うーんとうなったりして体質を見極める。それで薬を処方する。ですから、例えば血圧の高い人には、この薬と決まっているわけじゃない、体質に応じて薬を出していく。
 こうやっていろんな要素で、いろんな処置の仕方、薬に限らない、いろんなことが漢方の場合あるわけですから、漢方の場合、名医か、そうじゃないところがめちゃめちゃにはっきりするような気がするんです。西洋医学的にいえば、例えば検査値の数値がこうで、血圧がこれぐらいだったらこの薬と決まっているわけですから。じゃあ、機械でもできるじゃないかという印象を持たれるかもしれないけれど、実際そういう傾向はないわけじゃないと思います。
 そんな話をスタジオで議論して、恐らく実のある議論はほとんど放送ではカットされるとは思いますが、医者同士が大体自分がやってる西洋医学、漢方医学といったものは何であるのか、あるいはそれを自分で理解したいと思い、そして一般の方々にどう説明すれば理解していただけるのか、そういったことを医者同士がテレビで討論する。結果的には番組ではあまり放映されないのかもしれないけれど、現象としてみんなが集まっていろいろ議論するということは少なくとも私自身にとってみるとすごくいいことなんです。何かエッセイ書くネタになったなんて思ったりするわけです。

 学者が集まって討論する「地球学の世紀」

 JR東海ですが、今日、関西方面からグリーンで来られた方はご存じですが、『WEDGE』という雑誌の真ん中にある「地球学の世紀」というフォーラムですね。学者さんが集まってみんなでいろいろな話を聞くというコーナーですが、こういう会合の話がものすごい刺激になっています。いま自分がいろいろ書いたり、不謹慎にもテレビでもっともらしくしゃべっていますけれど、ほんとのところはそうではなくて、自分自身がいまやっている心臓の手術というもの、心臓の医療というものを、いろんな角度から深く深く掘り下げて考えることができる題材に日々なってるなと思ったりします。
 話が長くなりますがちょっとだけ紹介させていただくと、先週は「この世の中における左と右」なんていう話です。東京工業大学の先生にお話しいただいて、生物は左右非対称であるというんですね。能面のような顔があるなんて表現があるとします。「能面のような顔をした人が市役所に行ったら受付に座っていた」なんてなことを皆さん言うと思いますけれども、その能面とは一体何だろうということからしますと、いまちょっとヒントを言いましたが、実は能面というのは左右対称なんです。それが能ができた、能面ができた鎌倉時代でしょうか、13世紀のあたりからやっぱりみんな知っていたんですね。
 一般的に、人間の顔というのは、左右は非対称です。左右対照じゃないんですね。顔写真を無理やりいたずらして、真ん中に鏡を置いて左右対称にしてしまうと非常に無表情、不自然な顔になるといわれているんです。どなたの顔でもそうです。すごく美人の方でもそうです。美人だからといって、左右対称、整っているということでは決してないんですね。でもこれは大変失礼なことを言いました。
 でも、ほんとに左右対称というものは非人間的、無味乾燥、あるいは自然から離れたものであるということが、能面ということからもわかるわけです。そういうふうに考えてみますと、西洋の建物とか、あるいは日本の国会議事堂みたいなものですね。ああいうものって左右対称であったりします。ですから日本的というのは非常に左右非対称であったりすることが話されたりするわけです。

 医学も科学も政治も分からないが悲観しないで

 さらに分子の世界、原子の世界、それから光の世界。これも全部、左と右に分けることができる。光も電磁波ということで、サインカーブを描いて飛んでくるわけです。実はそれが少し回転していくというふうなことがあって、それが左回りなのか、右回りなのか、どういう回転をしてくるのかというのが、右ピッチャーが投げたカーブ、左ピッチャーが投げたカーブということで光も違うんですね。
 それから立体構造としますと、鏡で写したような立体構造。例えばタンパク質、アミノ酸、DNA、人間の体の構造図、すべてそうなりました。左か右か決まってるんですね。全部、左というわけじゃないんです。アミノ酸とかタンパク質関係は全部、左。糖であるとかDNAとかはみんな右なんです。どういうわけか、生物がそういうものを選んでいるというふうなことですね、いやあ、なかなかすごい話だなと思って聞いていました。
 人間の体も全く左右非対称なんです。ご存じだと思いますが、心臓は左にあるわけです。なぜ心臓が左にあるのか。これはわからないんですが、しかし左と右の区別をはっきりつけることには意味があるんでしょうね。後づけに、こういう意味がある、そういう意味があるというのはいえると思うんですが、やっぱり何でしょう、我々のこの世の中を支配しているものは何なんでしょう。神様ということなんでしょうか。天ということなんでしょうか。そういう神秘的なものというものが、こういう医者という仕事をやっていても、日々、新たな疑問というか、そういったものにいい形で興味深く接することができている今日(こんにち)かなと思ったりしています。
 ほんとに医学も科学もわからないことだらけで、また政治もわからないことだらけ、後期高齢者医療はもっとわからないということで、わからないことが多いんですけど、わからないことに悲観しないで、皆さん、楽しく生きていただきますことを祈念しまして、私のつまらない話、白澤先生の前座のお話でしたけれども、終わりとさせていただきます。ご清聴をありがとうございました。(拍手)